新潟の街でランニング (あと、アルビのことも)

へっぽこながらもランニング続いています。2年目にしてフル出場も果たしました。
あと、週末はアルビです。飛んで跳ねて声枯らしています。

(親子ふれあいマラソン大会) 晴天のもと2日連続のアルビ。かけがえのない時間。

3日土曜日は朝のうちに25kラン。
久しぶりの晴天のもと、気持ちよく走ることができました。


もう少し走りたかったけど、午後からは息子と行くアルビ対ロアッソ観戦が待っていたので、余裕を持って終了。
まあ腹八分目ということで。



ビッグスワンも、天気が良くて気持ちよかったです。


結果はまあ、ね・・・。連続不敗記録は9でストップです。



「田中達也選手のゴールでアルビ敗戦。ただしオウンゴールではありません」


・・・敵ながらいい選手だね、ロアッソの田中達也選手。
まあそういうことです。





気を取り直して4日日曜日。
2日連続で息子とともにビッグスワン。
2日連続でアルビなんです。


もっともアルビはアルビでも、新潟アルビレックスランニングクラブ(アルビRC)。


アルビRC主催の「親子ふれあいマラソン大会」開催。
息子と一緒に、親子ラン(2k. 親と小学生が一緒に走る)の部に参加するのです。


これまでエスコートキッズとしてビッグスワンのピッチに上がったことのある息子ですが、サッカー以外でビッグスワンに来るのは初めてです。
いつものオレンジなビッグスワンとは違った様子に興味津々。



体を動かすことが好きなんだけどあまり運動神経のよろしくない息子(まあ、わたしの息子ですからね)にとって、2kはなかなかの長距離です。


それでも小学校のマラソン大会と同じ距離ということもあって、「がんばる」と宣言。
それでも無理せず、後ろの方に並んでゆっくりとスタートしました。



ビッグスワンを3/4周ほどしてスタジアムを飛び出し、鳥屋野潟沿いの林道を走ってまたビッグスワンに戻り、のこりの1/4周を走ってゴール。



息子、ビッグスワンを走るときはなんだかニヤニヤし、公園内の木々が生い茂る林道に「ビッグスワンの近くにこんな場所があったんだ」と新発見し、鳥屋野潟に白鳥をみつけて感激していました。


ほんの2kではありますが、息子にとってはバラエティに富む、新鮮なコースだったようです。




さすがに1k超えたあたりから少し息があがってきたけれど、何組かの親子さんを追い越します。


沿道では、アルビRCに所属している小学生たちが応援してくれていたのですが、たまたま息子と同じ小学校のお友達も何人かいて、「むすこー、がんばれー」って声をかけてくれました。それに手を振って答える息子。
自然とペースが上がります。



ビッグスワンに戻り、ゲストの大島めぐみさんとハイタッチし、赤ちゃんを抱っこしている久保倉里美さんに手を振りながらトラックをラストスパートです。


最後はふたりで手をつないでゴール。
見事に走りきりました。




チップを回収してもらい、完走賞を受け取り、さらに完走証をプリントアウトしてもらいます。


通常のマラソン大会とまったく同じ流れ。本格的です。


賞状のような立派な完走証には、息子の名前(と私の名前)が刻まれ、タイムと順位も記録されていました。



「今までの最高記録より1分も速かった!」


どうやらこれまでのPBを大幅に上回った様子。とてもうれしそうにしていました。




2年前には娘と「サンセットビーチラン」に参加しました。


今や娘は完全に文化系な性格になっていて、運動への興味が薄れているみたい。昔は片渕監督や内田コーチからサッカーを教えてもらったものなんですけどね(苦笑)



それでも、時と場所を変えて楽しい時間を共有させてくれた子どもたちには感謝でいっぱいです。子供とこういう時間を過ごせるっていうのは、今しかないことでしょうしね。


もちろん、それを許してくれて支えてくれる妻にも感謝です。
いい家族に恵まれて幸せです。



完走証を受け取って一息ついた息子曰く、「1kくらいのところですっと体が楽になった。これで行けるかなと思ったら、ビッグスワンが見える辺りで辛くなった。でもそこで頑張った」



・・・うーん、デジャブ。


「15−20kくらいでなんだかランナーズハイになって、これは行けるぞと勘違いしたら思いっきり30kの壁にぶち当たり、ヒイヒイ言いながら頑張ってゴールした」



距離こそ違え、一緒ですね。
息子は立派に自分と戦ったわけです。



もうひとつ。


「走ってる間は辛かったけど、ゴールしたときは楽しかった。また走りたい」



・・・これまたデジャブ。


「35kあたりではもう二度と走るかと心に誓うんだけど、家に帰った瞬間RUNNETで次のレースを探している」



まあ、親子ですね。
思考回路一緒ですね。
つまり、息子もこのままランニングにのめり込む危険をはらんでるってことですかね(冷や汗)



このあと閉会式出て、完走賞でいただいたJAさんのおにぎりいただいて(アルビのJAサンクスデーでもいただけるおにぎり。本当においしいですよね)、ビッグスワンを後にしました。



いやあ、本当に楽しかった。


いい天気に恵まれ、サッカーにマラソンにとスポーツ三昧の週末。


かけがえのない楽しい2日間でした!

朝ラン終了のお知らせ 2018年版

いよいよ新潟は寒くなってきました。



冬が近づくと、天気予報が当てにならなくなります。


寝る前に天気予報をチェックして、明日の朝こそ走れるぞと思って早めに眠りついて、目が覚めて外を見るとザーザー雨。


さすがのインターネッツもこの不安定な気圧変化に対応するのは大変なんですね。



逆に、雨の天気予報に油断して、少し遅く目覚めたらアスファルトが乾いてて、なんだよ晴れてたんじゃんよってことも。


まあね、雨降ってようが走ればいいじゃんってことではありますね。



いやあ、走りたい気持ちはあるんですけどね。



最近の朝は寒いし暗いし、おまけに雨に濡れもしたら風邪引いちゃうんじゃないか。

仕事に支障をきたして仲間に迷惑をかけてしまうんじゃないか、家族に風邪をうつして苦しい思いをさせてしまうんじゃないか。


そんなふうに思うと、やっぱり雨の中走るのはよろしくないのかなって。



いや、私はいいんですけどね。周りの大切な人々に迷惑をかけてしまっては申し訳が立たない。


支えて下さる方々あっての私ですからね。

そういう方々のため、断腸の思いで雨の中のランニングは断念しているわけです。



ええ、気持ちはあるんですよ。




・・・気持ちはあるとか、もはや意味分かんないですね。要は周りを巻き込んでの壮大な言い訳です。


そんな壮大な言い訳を一生懸命並べる私は、まあ小物ですよね。



小物が壮大な言い訳を並べる。鳶が鷹を生むってやつです(違う)




・・・いよいよ自分で何言ってるんだかわかんなくなってきました。




ということで、朝のランニングがなかなか思い通りにできなくなってきたという話です。



去年の自分の弊ブログの記事をみてると、11月20日付で「朝ラン終了」と書いています。




いやあ、去年はがんばってたんだなあ。



とはいえ、去年は去年、今年は今年です。

走るつもりでいたのが走れないというのは、どうしたってフラストレーションがたまります。



やはり朝ランは断念し、夜ランに移行することにしました。今年は朝ラン終了です(休日を除く)。



とは言え、朝ランになれてしまうと夜のまちなかを走るのはやっぱり怖い。

安全なところで走りたい。


思いついたのは、冬場お世話になっている体育館の近くにある公園。ここで走ることにしました。


ランニングウエアとランニングシューズを車に積み込んで、仕事を終えたらそのまま公園に向かいます。



とくにシューズはインドア用とアウトドア用とを準備しておきます。


公園について晴れていればそのまま公園を走る。

雨が降っていたら、体育館に逃げ込めばいい。


天候に応じて屋内と屋外とを使い分けることができるのが夜ラン一番のメリットです。




ということで、31日水曜日には久しぶりにトレッドミルで汗を流してきました。


トレッドミルしてエアロバイクして、たまたまランニングで知り合いになった友人がいたので雑談して、自重トレとストレッチして。


これら全部含めてなんとたったの数百円!


ほんと、贅沢な大人の遊び場という感じです。


(走ったあとそのまま雑談にのめり込んでしまい、時計を止め忘れてしまいました)




翌1日木曜日は、幸いにも雨が降らなかったので、公園を走りました。

久しぶりに存分に走りました。


あまり大きくない公園なので、ひたすら同じところをぐるぐるすることになるのですが、やっぱり外で走るのは楽しいですね。



ということで、去年より早めに夜ランに切り替えました。


冬に差し掛かるこの季節、気候に左右されずにランニングを楽しめればいいなと思います。

(沼垂の街をランニング その1)駅前楽天地-旧新潟駅前通りをランニング

(プロローグはこちら




旧新潟駅から沼垂駅跡を目指すランニングは、代ゼミや弁天公園に面した通りからスタートです。



そのまえに少し寄り道。(こんなことしているからなかなか終わらない)
代ゼミの横の道に入ってみます。
すると、古びた雰囲気の飲み屋街が出現します。

昭和の雰囲気プンプン。「駅前楽天地」です。


いかにも年季の入った雑居ビルが立ち並び、飲食店の看板が飾りつけられています。



「駅前」と銘打ちながらも、今の新潟駅からは少し離れたところに位置しています。以前からなんとなく違和感を感じていましたが、「旧新潟駅前」と考えればしっくりきます。ほんとに目と鼻の先ですからね。


もっとも、この駅前楽天地がいつからあったのか(新潟駅の移転前からすでにあったのか)、楽天地という名前の由来は何だったのか、そういったことはちょっと調べてもよくわかりませんでした。



駅前楽天地が、昭和39年には存在していたことは間違いありません。


昭和39年とは、新潟地震があった年です。
この地震の影響で、駅前楽天地のあたりでは地盤沈下が発生しました。


上の写真をよくみると、右側のビルが少し傾いているようにみえませんか。これは目の錯覚でも何でもなくて、このときの地盤沈下によるものだというのです。
つまりこのビルの傾きは、駅前楽天地が新潟地震を経験した証なのです。



新潟地震の爪痕は、今でも新潟市内のあちらこちらに残っています。
この駅前楽天地の地盤沈下の他に、昭和大橋のゆがんだ橋脚などが有名ですね。




閑話休題。




駅前楽天地からふたたび代ゼミ前に戻ってきます。


この代ゼミや弁天橋の周囲には、線路の名残と思える道はみあたりません。


弁天公園に目を向けると、レインボータワーが見えます。

万代どころか新潟市のシンボルとして昭和48年からずっとそびえているタワーです。



このレインボータワー、残念ながら平成30年8月より解体工事が始まりました。


新潟地震にも耐えうる耐震性を備えていましたが、東日本大震災の際に一部破損、運行が中止になった状態が続いていました。
それでも一時は運行しなくても塔体は残すという話もあったのですが、予期せぬ大きな震災が起こったときに安全を担保できないという理由から、平成30年8月より解体工事が始まってしまいました。新潟市民としては非常に残念なことですが、しかたないのでしょう。



さて、このレインボータワーを眺めたときの右手側には、弁天公園と流作場五差路とを結ぶ広めの道路があります。


中央分離帯が設置されたこの道路、かつては旧新潟駅の駅前通りでした。


この通り沿い、つい最近まで長屋や古い酒屋さんなんかがあったように記憶しています。今思うと、旧駅前通りの名残の建物だったのかもしれません。
それがいまや、ビルや駐車場が立ち並び、並木道や中央分離帯まで設置された立派な道路に変わっています。かつて駅前通りだったという面影は、いまやまったくありません。


この通りから流作場五差路に入ると、すぐに「萬代橋」と書かれた木製の柱が目に飛び込んできます。

初代・二代目の萬代橋は、ここから始まっていました。



現在の萬代橋の長さは306.9m。当時は実に782m。当然万代シテイは川の底でした。


ラブラ万代と新潟テレコムビルとの間に地下通路(万代クロッシング)があります。
ここを工事していた際、初代萬代橋と二代目萬代橋とを支えていた基礎杭が発掘されました。
橋があった当時そのままの場所に、その杭が3本だけ展示されています。まさにここが川の底だったことがうかがえます。



ということで、旧新潟駅を出て旧駅前通りを抜けると、すぐに萬代橋につきあたっていたということになります。
つまり、旧新潟駅は信濃川沿いに存在していたのです。


萬代橋を渡れば、そこは今で言う新潟島(当時はもちろん関屋分水なんてなかったので、「島」ではありませんでしたが)。



旧新潟駅は、沼垂から新潟に向かうための玄関の役割を果たしていたのです。

既出の大正3年の新潟市地図を一部拡大。沼垂駅-旧新潟駅の路線、旧新潟駅と駅前通り、二代目万代橋の位置関係がよくわかります)




さて、旧新潟駅前通から歩道橋を使って流作場五差路を渡り、万代町通りに入っていきます。ラーメン二郎とかたい焼きで有名なあま太郎とかがある通り。


この、あま太郎の前のY字交差点から、かつて線路だった道が始まります。





ということで、グーグルマップさんによる今回の関係図です。



(不定期に続く)
(ようやく線路入り口・・・)(一体いつまで続くのか)