新潟の街でランニング (あと、アルビのことも)

へっぽこながらもランニング続いています。2年目にしてフル出場も果たしました。
あと、週末はアルビです。飛んで跳ねて声枯らしています。

(新潟シティマラソン20018観戦記 その3)胸のエンブレムで呼びかけると、選手に深く響きます

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とにかくいい人ばかりで賑やかな沿道。


そんな中、私はできるだけ固有名詞を声に出すように心がけていました。



自分がランナーとして走ったとき、「アルビー!」と声をかけてもらったことがとても嬉しかったんです。
間違いなく自分に向けた声援ですからね。本当に力になりました。
ガッツポーズを返したりハイタッチしたりして、その方とつながった感覚になれたのが嬉しかった。



なので、とにかく胸に書いてあるランニングクラブ名、企業名、地域名で選手に呼びかけるようにしたんです。


「川越市がんばれー!」
「ハードオフー!」
「朝日山ー!」


皆さん余裕がないだろうに、手を振ってくださったり、返事をしてくださったり、ハイタッチしてきてくださったり。これはこちらも嬉しかったです。



あとはマラソン大会の記念シャツ。
全国の記念シャツを見ることができて楽しかったです。


とくに自分も参加した大会のシャツを着ていらっしゃる方には親近感を覚えました。
関川マラソンとか、新潟ハーフマラソンとか。



中でも驚いたのが、えちご・くびき野100kmマラソンのシャツを着た方が何人もいらっしゃったこと。


向こうも私がくびき野マラソンのシャツを着ていることに気づいてくれて、ハイタッチしてくれました。
なんだか、自分に変わって走ってくれているような、私達を代表して走ってくれているような、なんとも嬉しい気持ちになりました。


この方々、くびき野が中止になっていなかったら連日走るつもりだったってことですよね。いやはや化物だ(最上級の褒め言葉)



逆に、わたしのシャツをみつけて「残念でしたね」なんて声をかけてくださる方もいらっしゃいました。人のこと気にしてる余裕もないはずなのに、優しい方です。



あとは「くびき野のパワーください!」って握手を求めてこられた方。
幸いにしてパワーは有り余ってます(苦笑) いくらでもどーぞという思いで手を握り返しました。




もちろんスポーツユニフォームの方々もたくさんいらっしゃいました。


ラグビーの日本代表は私でも認識できました。「ラグビー!」という、いささか乱暴な声援にも、笑顔で手を振り返してくださる。さすがは紳士のスポーツです。


ほかにもトップリーグのユニフォームなんだろうなという方も何人かいらっしゃいましたが、疎くて申し訳なかったです。



野球では、プロ野球12球団すべてコンプリート。あとおそらく草野球チーム。


カープの方には「おめでとう!」と声をかけました。
ジャイアンツの方からは逆に「お願い、応援して」と声をかけられました(苦笑)。


こういう交流も楽しい。



そしてサッカー。思いつくままに。
コンサドーレ、ベガルタ、アントラーズ、ゼルビア、カターレ、ヴァンフォーレ、エスパルス、グランパス、ヴォルティス、ギラヴァンツ。


アントラーズには「ACLがんばれ!」と。
ヴァンフォーレには「来週よろしく!」と(13日土曜日はヴァンフォーレ対アルビ戦)。




そしてそしてアルビレックス。
背番号が入ったユニには、その選手名で声をかけます。


「ナオキ!」「フミヤ!」「カワタ!」「イサオ!」などなど。




もう、途中からどんどん応援が楽しくなってきました。



(もう少し続きます)

(新潟シティマラソン20018観戦記 その2)愉快で素敵であたたかい沿道にはまる

(その1はこちら



遠くから先頭のランナーさんが走ってくるのが、まめつぶのように小さくみえてきました。


それがあっという間に大きくなっていきます。


はっ、はっ、とリズミカルに息を吐き出しながら、軽快に走っています。
上半身はまっすぐ安定し、靴がしっかり大地を蹴り上げている。


いやあ、かっこいいわ。惚れ惚れするね。


そんな感じについつい見とれていたら、あっという間に目の前を過ぎ去っていきました。
あわてて拍手と「がんばれー」という声を送りました。



少し間があいて、選手が次々にやってきました。


最初は当然、陸連の方々。ゼッケンにSの文字が輝いています。


新潟シティマラソンは、ゼッケンにS, A, B, C ... とアルファベットが振ってあります。
Sは日本陸上競技連盟に登録している方々。以下、目標タイム順に割り振られていきます。


一般に、SとかAとかの方々は速いですよねやっぱり。



そんなSのゼッケンをみながら、向かいの沿道にいらっしゃる方々が喋っていました。


「このひとたち、ビッグスワンから海まで走ってここまで来たんでしょ? すごいよねそんな距離をこんなスピードで。でもさ、きっとつらいよね。自分を責めてるよね」


「あ、もしかしてSってそういう意味? 嗜好的な主張?」


「それをいうなら逆じゃない? SじゃなくてMじゃない?」


「そっか、いじめられて嬉しいのはMか。ちなみにあんたはどっち?」


「うーん、Mかなあ」


「へー。私はS」



・・・知らんがな(笑)



いや、べつに盗み聞きするつもりはなかったんですけどね。聞こえてきちゃいますよね。
必死で知らんぷりして声出してました。吹き出しそうになるの必死でこらえてました。





それにしても思えば、私がいたあたりにいらした方々は、皆さんホントいい方々でした。



とくに互いに喋ったりしたわけではありません。お互い名前も知りませんし、新たに友だちになったなんてこともありません。



でもね、例えばとある集団が知り合いを見つけて「ヒロシ(仮名)、頑張れー」と声援したとします。


すると、他の方々まで「ヒロシー!」って声を上げるんです。
もう、四方八方から「ヒロシー!」の声援。



あるいは小さいお子さんが、自分の父親が走ってるのを見つけて、「パパー!」って可愛い声を上げたとします。


すると、まわりも「パパさん、がんばれー!」って。


パパさん、恥ずかしそうなでも嬉しそうな、とてもいい表情になっておられました。



いいなあ、こういう雰囲気。
こんな方々が応援してくださる中で走りたいなと、ほんとにそう思いました。


来年の新潟シティマラソンは、堤防を走るのがちょっぴり楽しみになりそうです。(辛いは辛いけど)




(すみません、まだ続くんです)

(新潟シティマラソン20018観戦記 その1)はじめての沿道にわくわくする

10月の3連休最終日。8日月曜日。


新潟シティマラソン当日。


天気は晴れ。




思い起こせば、2年前の新潟シティマラソン(10k)が私にとっての本格的なマラソン大会デビューでした。
(本当の大会デビューは、同じ年に娘と参加したサンセットビーチラン



そして去年の新潟シティマラソンでフルデビューとなりました。



こんな感じに、節目節目のマラソン大会はいつも新潟シティマラソンでした。




それが今回は、色んな事情が重なって、応援の側に回ることになりました。
初応援も新潟シティマラソンでしたと思えば、これもまた節目と言えなくもありません。



そうと決まれば一生懸命応援するまで! 



友人や職場の仲間もたくさんエントリーしているし、アルビユニフォームの方や他Jリーグサポの方々もわざわざ新潟まで来てくれているはず。


そういう方々にいっぱい声援を送ろうと心に決めました。





新潟シティマラソンのコースには、色んな表情があります。



選手もまだ余裕で、沿道も賑やかで、華やかな雰囲気が楽しいビッグスワンから鳥屋野潟界隈、さらには萬代橋や古町。



応援する側からすれば見晴らしが良さげなんだけど、選手からしたらトンネルを抜けてしかも緩やかなのぼり坂と太陽の照り返しに体力をもぎ取られていく海岸道路。



選手にとっておそらく一番辛いポイントになるであろう、ひたすら日光と風との戦いになる平成大橋からふるさと村の折返し、さらにはやすらぎ堤に戻るまでの長い長い堤防。



道幅が狭くなってごちゃごちゃするけれど、もう少しでゴールと実感できる白山あたり。



ゴールに歓喜する選手を目のあたりにできる市陸。





どこのエリアも魅力的ですが、私は堤防で応援することにしました。


このあたりはただただ殺風景な一本道ですし、応援する方も少ないんじゃないか。
でも選手にとっては一番つらいポイントです。


そういうところでエールを送ることには大きな意味があるんじゃないかと。
まったくひとりよがり、自己満足ではありますが、そう考えました。



トップの選手が到達するであろう1時間前には現場に到着しました。


意外と多くの方がすでにいらっしゃいました。
慣れてる方はレジャーシート広げたり、弾幕や応援うちわを用意したりなさっていました。




私は、とくに持参品なし。


上着はアルビユニではなくて、えちご・くびき野100kマラソンの記念Tシャツ。
このTシャツを持っているということが、今回私が応援に回ったことに大きく影響しているのですが、それはまた別の話ということで。



周りの方々はグループで雑談したり、スマホでいまの選手たちの位置を確認したり、お菓子を食べたりと、ちょっとしたピクニック状態。


そんな中ぼっちの私は、なんとなくストレッチしてみたり芝生に座ったと思ったらまた立ち上がってみたり、あるいはちょっと位置を変えてみようと堤防を横切ったりと、挙動不審極まりない行動をとりながら、ただただ時間が経つのを待ちます。



・・・ふと思い出したのが高校時代、授業と授業の合間の10分休憩。


周りがグループで楽しそうに雑談しているその喧騒の中で、話し相手もおらず無意味にトイレに行ってみたり、教科書を出し入れしてみたりした、そんな切ない思い出が蘇ります。


人生ずっとぼっちだったなあ(遠い目)




それでもまあ、時間は必ず流れていくものです。


きづけば1時間が過ぎていました。


まわりがさっと緊張してざわめきはじめます。


わたしもその空気を察して立ち上がりました。




遠くから先頭のランナーさんが走ってくるのが、まめつぶのように小さくみえてきました。



続く