新潟の街でランニング (あと、アルビのことも)

へっぽこながらもランニング続いています。2年目にしてフル出場も果たしました。
あと、週末はアルビです。飛んで跳ねて声枯らしています。

(沼垂の街をランニング プロローグ)沼垂駅と万国橋と流作場と新潟駅、そして公衆電話

万代シティを新潟駅側に進むと、代々木ゼミナール(略して代ゼミ)が建っています。高校時代お世話になったなあ。
代ゼミ派、NSG派、あと今はなき新潟予備校派がいましたね。
代ゼミの講義に忍び込み、新潟予備校の自習室を借りて勉強したものです。



その代ゼミの向かいに弁天公園という小さな公園があります。この地は新潟市における「公衆電話発祥之地」であることを以前ご紹介しました。



ここに公衆電話が建ったのは明治40年のこと。


では、なぜここに公衆電話が設置されたのか。
なぜなら、かつてここは新潟駅前広場だったからです。




新潟駅が現在の位置に移ったのは昭和33年。私は生まれてません^^
それまでの新潟駅は、まさにここ、代ゼミのあたりにあったのだそうです。そして、弁天公園のあたりが駅前広場になっていました。




大もとをたどれば、現在の新潟市域内で最初に造られた駅は、明治30年に開業した沼垂駅でした。直江津-柏崎-長岡-三条-沼垂とつながる北越鉄道の終着駅でした。



沼垂とは信濃川の右岸の地域のこと。左岸の新潟とは、流作場と萬代橋とを通じてつながっていました。



北越鉄道の終着駅を巡っては、新潟市と沼垂町との間で激しい誘致合戦が繰り広げられました。
最終的に沼垂町が勝利し、実際に沼垂駅が建設されるわけですが、その後にも、新潟の人たちが沼垂の人を襲撃したり駅や線路に爆弾を仕掛けたりと、なかなか激しい抵抗(つうか、もはやテロ)があったようです。



もともと新潟と沼垂とは仲が悪く、昔からずっと争いが絶えませんでした。




江戸時代、新潟を治めていたのは譜代の長岡藩、沼垂のそれは外様の新発田藩。この時点で犬猿の仲必至。しかも新潟のほうがなんだか有利。


結果、湊の権利争いではことごとく沼垂が辛酸を嘗めさせられたり(最後には沼垂から湊がなくなってしまいました)、沼垂に堀を作ろうとしたら新潟から言いがかりをつけられ差止め訴訟を起こされてしかも敗訴したりと、ことごとく新潟と沼垂は対立し、しかも沼垂が割を食うことが多かったようです。



そんなさなかの明治30年に沼垂駅は開業しました。新潟側の悔しさたるや相当だったに違いありません。爆破事件や暴行事件が起こったのには、そういった背景があります。



その後も新潟は諦めずに誘致活動を続けます。
その活動が実ったのが明治37年。いまの代ゼミのあたりに旧新潟駅が開業したのでした。


北越鉄道の沼垂駅のひとつ前の駅は東三条駅。この東三条駅と沼垂駅とはまっすぐ無理のない線路で繋がれていました。ところが沼垂駅から新潟駅へは、ぐぐっとカーブするようにつながっています。
新潟の根気(ていうか強引さ?)に負けた北越鉄道の苦肉の策が慮れるようです(もっともその後は、萬代橋からも流作場からも新潟港からも距離の近い新潟駅を中心に新潟市域は発展していきますので、新潟駅の設立は有益なものでした)。



その、沼垂-新潟間のカーブの頂点は、いまの万国橋交差点付近。あるいは、もしかしたら万国橋そのもの。


グーグルマップでみてみると、いまでもなんとなく線路跡と思える道路がうかがえます。沼垂駅跡から万国橋交差点に向かってカーブを描き、そのまままっすぐ代ゼミに進んでいきます。

(写真が小さくてすみません)




さて、ずーっとずーっと犬猿の仲だった新潟と沼垂。
そんな険悪な関係ががらりと変わる事件がありました。


明治40年、沼垂で大火事が発生したのです。
あまりの大規模な出火に、沼垂だけでは太刀打ちできない状況でした。


そんなさなか、新潟から消防ポンプ車が応援のため萬代橋を渡り駆けつけました。このポンプ車の活躍のおかげで、大火は沈静にむかいます。
沼垂は、新潟にとてもとても大感謝したそうです。


他にもさまざまな要因が重なり、大正3年に新潟と沼垂がついに合併することになりました。

(大正3年の新潟市の地図。信濃川左岸に新潟が、右岸に沼垂が描かれています。地図コレクション展 @みなとぴあ. 2017年 より)



平成26年には合併100周年ということで、新潟市内でたくさんのイベントが開催されました。個人的には、新潟と沼垂の史跡を回るスタンプラリーが楽しかったなあ。子どもたちと存分に神社や石碑などを見て回ったものです。





・・・とまあ、前振りがとってもとっても長くなってしまいました。


先日、ふと思い立ってこの旧新潟駅-沼垂駅跡をランニングしたんです。
いやあ、沼垂方面ってあまり行ったことなかったんだけど、なかなか面白い街ですね。


次回から、少しずつご紹介していきたいと思います。



(不定期に続く)(本題に入る前に続いてしまうのはデフォです。すんません)




2018/10/26付記 沼垂駅名を修正しました。あと、ところどころ文法や表現を修正しました。
2018/10/26付記 弁天公園名を修正しした。重ね重ねすみません。

寒さと暗さは、朝ランにとって敵なのか味方なのか。そうそう、鳥屋野潟に白鳥飛来してました!

午前4時半。


家族が起きる前にそっと起きて、いざランニングへ。


新潟の朝はだいぶ寒くなってきました。今シーズン初めて薄手のウインドブレーカーの出動です。


外はまだ夜。星が光ってます。


海岸は本当に真っ暗で怖いので、街に繰り出します。


古町には、酔っ払って闊歩する若者たち。時間の使い方の違いが面白い。私も若い頃はああだったんだよなあ。


そんな若者たちのそばをすり抜けて、弁天橋方面へ。一路ビッグスワンへ向かいます。



ビッグスワンにつくとちょうど日が明けてきました。



新潟テルサ近くの田園に朝焼けと朝もやが広がっていました。

すごい神秘的。
この感動を写真で伝えきることができないのが残念。恨むべくは撮影者のスペックですね。いやあ、申し訳ない。
でも、本当にきれいでした。しばらくみとれてしまいました。



それから、鳥屋野潟には白鳥が飛来していました。
そりゃあ寒いわけだ。

(豆粒みたいだし、なんだか盗撮のようですが、たしかに白鳥たちです)



気温が低かったおかげでとても気持ちよく走ることができました。
軽く汗ばむくらいでフィニッシュ。


いい汗かきました。



家に帰ると家族が起きていました。


朝のうちに好きなだけ走って、日中は思う存分家族と過ごす。
まあ、有意義ですよね。


暗いけど車はいないし、寒いけど走っていると心地よいし。




・・・あいかわらず、起きるまではいつも布団の中で葛藤し、うだうだとアラームのスヌーズを鳴らし続けてるんですけどね。



だって、暗いし寒いんだもん (言ってることが支離滅裂)

(新潟シティマラソン20018観戦記 その4)ランナーの立場では気づかなかった、1万2千通りのストーリー

(その1はこちら
(その2はこちら
(その3はこちら




レースが始まる前は、なんだかんだ言っても結局自分が走るわけではないし、途中で飽きてきちゃったりお腹空いちゃったりしたら帰ろうなんて軽い気持ちで考えていました。


ところが、実際に暑い中必死に走る選手を目の当たりにすると、もう感情移入しっぱなしになってしまいました。



頑張ってる選手たちをおいて家に帰るなんて、とんでもない。


そんな誰からも頼まれていない、お前一体何様なんだというエゴイズム満載な使命感に駆り立てられ、時間が経つのもお腹が空くのも忘れてずーっと声を出し続けていました。




逆に、すべての選手に声援を送りたいという思いから、知人を全く識別できませんでした。
むしろ走ってる友人のほうからみつけてもらい、「まるお!」なんて声かけられたりして。
まあ、これだけ大声で声援送ってれば目立つかもね。いやあ、申し訳ない話です。




でもほんと、選手ひとりひとりがそれぞれの必死さで走っているのは、なかなか感動的でした。



「1万2千通りのストーリー」
「1万2千人の主役たち」


とはよく言ったものです。


ランナーの立場では正直ピンとこなかったことばが、沿道に立ってみて本当に実感しました。




レースは終盤。次第に歩きのランナーが増えていきます。


思いががけない気温に体力をそがれてしまったり、こんなはずじゃなかったり、前半が楽しすぎてついついペース配分を間違えてしまったり、怪我して走れなくなってしまったり、最初から徒歩でもいいから完走を目指していたり。


皆さんいろんな感情を胸に必死に歩いている。



最初は「頑張れー」と声を出していましたが、途中から「頑張ってるよ、前進んでるよ」という言葉にかえました。もう頑張り尽くしてるからね。


「辛いよね、足痛いよね」なんて語りかけたりもしました。




皆さん思い思いに一生懸命歩き続ける姿。
これまた感動的でした。
みなさん本当に頑張った。



結局最後のランナーが足を引きずりながら目の前を歩いて通り過ぎるまで、ずーっと拍手し声を出し続けていました。


周りの方々も、たくさん最後まで残っていらっしゃいました。





初めての沿道からの応援。
先頭のランナーから最後尾のランナーまで、本当にいろいろなストーリーがありました。
マラソンの懐の深さを改めて実感した次第です。



次にレースに出るときは、またなにか違う価値観で走れるんじゃないかと思える、貴重な体験でした。
選手の皆さん、本当にお疲れ様でした。そしてありがとうございました!!





うーん、早くまたレースに出たい!