上越の街でランニング。他愛もない日常の思い出。
11日(金曜日)は、夜に上越市で仕事してました。
前日までは天気良くなかったんですけど、11日は午後からとてもいい天気になりましたた。
(道中、黒崎サービスエリア)(いわし雲がすごくきれい)
上越では一泊してきました。
上越市、むかーし住んでいたことがあります。
自然も多くてご飯も美味しくて、それなりに街もあって道路も整備されていて、本当に過ごしやすい街というイメージです。
ただ、冬の雪が厄介です。
1日何回も雪かきしなきゃならない。
妻とかわりばんこで朝、昼、夕と雪と格闘する日々は、正直なかなか大変でしたね。
妻、最初のうちは「ダイエット」とか言ってるんですけど、だんだん無言になっていくんです。本当によく頑張ってくれました。
子供たちは子供たちで、「手伝うー」とか言いながら、砂遊びでもするんですかっていうような小さいスコップで雪をいじります。
しばらくすると、スコップどっかに置き去りにして、手で雪玉を作り始めます。それでも最初はおとなしく雪だるま作ったりしてるんだけど、だんだんご近所の子供たちも一緒になって雪合戦がはじまります。
そこに父ちゃんが加わります。
父ちゃん同士で空き地に雪山やかまくらを作り、子供たちはそこでそり遊びしたり鬼ごっこしたりします。
父ちゃんたちはそれをニコニコしながら眺めています。
各ご家庭、気づけば奥様方が雪かきを担っていらっしゃるようになります。
・・・夕食時、子供たちが「たのしかったねー」なんて言ってるそばで、なぜか夫婦の間には静々とした、冷ややかな空気が流れるんです。
うーん、あれは背筋が寒くなりますね。またやっちまったって。
雪国あるあるですよね。(いや、ない)
まあ、そんな思い出の上越市。
12日(土曜日)、朝早く起きてランニングしてみることにしました。
ホテルのある高田駅から、かつて住んでいた街までのんびりと。
途中、高田公園も巡ってみました。懐かしかったなあ。
高田駅。
私がいたころはJR線でしたが、いまは第三セクター路線になっています。
こじんまりとはしているもののなかなかおしゃれな駅舎です。
この近くのラーメン屋さん、締めによく使ったものです。
雁木通り。
道路沿いの建物が、それぞれ軒を歩道にかかるくらいに長く伸ばしています。さらに、隣どおしの軒が連なっています。この軒に覆われた通りを雁木通りと言います。
この、歩道が屋根に覆われる形、今でいうアーケードですね。歩行者が雪に晒されないようにするための、思いやりの産物です。
雁木の中はこんな感じです。
雨の日も安心。道幅もあって歩きやすい。
この雁木もそうですが、そもそも上越市って道路が広くできています。
上越に初めてきた頃は、なんでこんなに道路が立派なんだろうと不思議に思ったものでしたが、その答えは冬にわかりました。
雪が降ると除雪車が入ります。除かれた雪は路肩に積まれていきます。結果、道路が狭くなります。
予め道路を広くとっていたのは、そのためだったのです。路肩に雪山ができても、クルマの交通の妨げにならない。
大通りなんかは、歩道も広くできています。雪がないと開放感いっぱいです。
(逆に細い小路では、歩道が完全に行きに埋まってしまい、歩くことが不可能になってしまうこともあります)
道は広いし雁木もある。上越の街って、すごく走りやすいんですよね。これは発見でした。
上越に来るときはまた走ることにします。
コースは、自分のかつての生活圏。延べ12kmほど。
ランニングが久しぶりだったってのと(漸く咳が止まりました! 御見舞のお言葉ありがとうございました!!)、町並みが懐かしくてあちこちで立ち止まったり寄り道したりしたってのと、週末はLSDですよってのとで、ゆっくりペースで走りました。
いや、ほんとに楽しかった!!
子供の本や紙芝居を借りに行った図書館や、
その借りた本を子供たちに読み聞かせた公園や
(なんなら、知らない子もいつの間にか寄ってきて、ちょっとした朗読会になったりすることも。いなかっていいですね)
すべり台。
昔はここにもっと背の高いすべり台があって、娘が登ったはいいけど降りられなくなって泣いたことがあったなあなんて思い出したり。
もちろん高田城の三重櫓も懐かしかったです。
高田城周辺は、春になると桜がすごくきれいなんです。日本三大夜桜というそうですが、その名に恥じてません。
上越市を離れて、あれだけの花見を知りません。いつの日か家族で、桜の季節に遊びに来たいと思います。
上越市ランニング、他にも色々と訪れてみました。
子供たちが通った幼稚園。その近くの原っぱ。
家族で住んでいたマンション。家族で使ったスーパーとか蔦屋とかラーメン屋さん。
娘が自転車の練習をして、ついに乗れるようになった駐車場。
そんなところをいろいろと訪れ、ばしゃばしゃと写真を撮ってきました。
これらの光景、当時は日常だったんですよね。写真撮るなんて思いつきもしませんね。
それが今や、懐かしさのあまり写真を撮りまくっている。なんとも不思議な感じです。
土曜日の午後に新潟市に帰り、家族に撮ってきた写真を見せたら、みんな喜んでくれました。息子は少し記憶が曖昧みたいでしたが、それでも楽しそうでした。
上越市のことが懐かしくなったってことは、それだけ新潟市が馴染んでいるってことなんでしょう。
私たち夫婦は、おそらくこの先ずっと、そんな新潟市に住みつづけることになると思います。
一方で子供たちはどうなるか、そりゃあ誰もわかりません。
この子達が将来新潟市を離れることになったとしても、この街にはたくさんの思い出が残っている。そんな日々を家族で過ごしていけるといいななんて、ふと思ったりしています。