新潟の街でランニング (あと、アルビのことも)

へっぽこながらもランニング続いています。2年目にしてフル出場も果たしました。
あと、週末はアルビです。飛んで跳ねて声枯らしています。

我が家の片渕浩一郎監督と内田潤コーチ

内田潤コーチ。
娘と息子が、サッカースクールでお世話になっていたことがあります。


最初のレッスンのときの挨拶で「ウッチーと呼んで下さい」とおっしゃるのを聞いてから、我が家では今もなおずっとウッチーです。


子供が相手でも、真剣に練習のコンセプトや注意点を説明してくださる。
そうかと思うと、現役時代にピッチ上で見た表情からはとても信じられないほどのくしゃっとした笑顔で、子供たちとのゲームに興じられる。


一定の厳しさをもちながらもとてもフランクで、子供たちから慕われていました。
保護者たちにも物腰柔らかく挨拶してきてくださり、現役を知る我々のほうが子供以上に感激したものです。



2008年のガンバ戦・現役時代の内田コーチがミドルシュートを決めた試合の映像を子供たちに見せたことがあります。


081206  ガンバ戦 内田潤


最初「あ、ウッチーだ!」なんてにやにやしながら覗き込んでいたのですが、その顔つきが次第に真剣な、憧憬に満ちた表情に変わっていきました。


「ウッチー、すごいでしょ」といったら素直に「うん」って。


後日、スクールが終わってから内田コーチにサインをねだる息子の姿がありました。
"17"(現役時代の背番号)の数字と一緒にサインをしてくださいました。



妻もアルビのサポーターですが、そんなに詳しくはありません。


「ウッチーがトップチームのコーチに昇格したってニュースで見たんだけどさ、ん? トップってなんのトップ? 子供たちのトップってこと? てことは高校生のコーチ? なんて思ってたら、やっぱり大人のトップだ、J1だ、ビッグスワンのベンチにウッチーが座るんだってわかって、すごいー! ってなったよ」


句点がない、読みにくい文ですみません(文才・・・orz)
それくらい興奮していたということで。




一方の片渕浩一郎監督には、一度だけ娘が所属するクラスの臨時コーチをしていただいたことがありました。
妻も娘もそのときのことをよく覚えていました。


妻曰く、「優しい人だった。あとで調べたらすごい人ってわかってびっくりした」


片渕監督は、当時ユースの監督をなさっていたのです。
まるでトップチームのような、走ることを惜しまないチームを作り上げ、昨年クラブ初のプレミアリーグ入りを果たしました。




片渕監督、内田コーチ。


これでチームも変わる! 
・・・なんて、あっさりと楽観視するほどポジティブな性格は持ち合わせていません。



厳しいクラブ状態。
トップチーム監督未経験。トップチームコーチ未経験。
立て直しのために残された時間はごくわずか。



不安がないといえば大嘘です。



それでもこれからも我が家はクラブに声援を送り続けます!



(能田達規, マネーフットボール 3巻, 芳文社コミックスより)
(監督交代ブーストは実在するはず!!)(この前と言ってることが違うのは自覚してます)

(アルビ0-2アントラーズ)ボールは丸い

うーん、困っちゃいましたね。



お出かけから帰ってきたのがちょうど16:30。
テレビをつけたらちょうどキックオフ。



前半は、ラファを起点にという戦略がそれなりに上手く機能していたと思うんです。
小泉なんかもうまく中に切り込んでたし。舞行龍の前線へのフィードは流石と思ったし。


(グランパス戦、なんで舞行龍出ないんだと書いてしまいましたが、怪我していたんですよね。遅まきながら本当に失礼いたしました)((アルビ0-1グランパス) ごめんなさい、やっぱり夜眠れませんでした (苦笑) - 新潟の街でランニング (あと、アルビのことも)



前半はあっという間の45分でした。



0-0でOKとするか、この時間帯にもうひと押しして先制しておきたかったと思うか。


欲を言えば後者ですよね。
なかなかうまくいっていないチーム事情を考えると、先制点は何よりほしい。おまけに相手は試合巧者のアントラーズ。


いいムードだなと思いつつ、一方でこのままいくとは思えないという不安も頭をよぎります。



そして後半開始。


明らかにアントラーズが我々の上をいくようになります。


プレスが強くなる。
前線の楔を打ち消してくる。
ボールを奪うと一気に前へ押し寄せる。



押されてきたぞ、嫌な時間だぞと思っていたときに、コーナーキックから失点。
柴崎のボレー、敵ながら見事でした。



相手の時間帯はぐっと我慢して、自分たちの時間と思うと巧みに攻め立てる。そしてワンチャンスをものにする。


おまけにカウンターの質も、セットプレーの質も、残念ながらあちら様のほうが上手。



でもね、これまでだってそうでした。資金のある、タレント揃いのクラブに対してどうやって立ち向かうか。
そんなとき、泥臭さこそがアルビの持ち味だったような気がするのです。



選手たちが手を抜いているってことではなくて、戦略としてもっと走る、もっとボールを追いかけるクラブだったような気がする。


「ボールは丸い。気持ちのある方に転がってくる」
とは、昇格時代の監督・反町さんがよくおっしゃっていたことばです。



(ツジトモ・綱本将也, "GIANT KILLING" 6巻, モーニングKCより)



もちろん選手や監督が変われば作戦も変わるわけです。それはわかってるんですが・・・。



いよいよお尻に火がついてきました。
ひとつでも勝てば流れはかわるはず!



今度こそ!!

はじめての早朝ランで市街再発見 あと、子供は早く寝ましょうね

今日(25日日曜日)は朝から高速道路圏内にお出かけ予定。
帰るのは夜になる可能性もあり、帰ったあとは走れないかもしれない。


よし、お出かけ前に走ろう。早起きしよう。


心に決めて昨日の夜は布団に入りました。



これまでに何度も心に決めつつ実現できなかった早朝ラン。
普段仕事に行くときは早起きなんですけれど、起きなくていい日は滅法起きられない。
オンとオフがしっかりしてるんです(かっこよく言ってみました)



果たして5:40. アラームを止めて布団を出ます。やればできる子です(何度目の正直?)


着替えて支度して6時前には家を出ます。


今日の目的は、昨日のカロリーを消費すること(父肥ゆる秋 - 新潟の街でランニング (あと、アルビのことも)
「脂肪よ燃えろ、燃えて下さいお願いします」と祈りながらゆっくり走ることにします。




いつもの通り海岸道路からやすらぎ堤(信濃川河川敷)に出るルート。


やすらぎ堤から、今日は萬代橋を渡ってみることにしました。


萬代橋は新潟シティマラソンのコースの一部になっています。そのためかランナーの方々がたくさんいらっしゃいました。
皆さん朝から頑張っていらっしゃいます。



現在の萬代橋は3代目になります。昭和4年に建てられた新潟のシンボルです。橋長306.9メートルのきれいな6連アーチ橋です。平成16年には国の重要文化財に指定されました。


初代の萬代橋は1886年に建てられました。当時の橋長は782メートル。東詰は現在の繁華街にありました。今は当時の橋柱があった位置にレプリカが設置されています。


ちなみに西詰は今よりもややホテルオークラ新潟寄りにありました。今日は立ち寄りませんでしたが、目立ちにくいところに碑文が建てられています。



この東詰のレプリカを通り超えて新潟駅前へ。

別の道から折り返します。



新潟駅から300メートル走ったところに、弁天公園という小さな公園があります。
ここはかつて新潟駅があった、その跡地です。流作場五差路に向けて線路が通っていました。


この弁天公園には公衆電話があるのですが、その脇に「公衆電話発祥之地」という石碑が建てられています。明治40年に、新潟県で初めての公衆電話がこの地に設置されました。



弁天公園を超えて万代シテイへ。
休日などは人で溢れているこの街ですが、さすがにこの時間は閑散としています。人通りのない万代。貴重です。


万代シテイのはじまりは、昭和47年のシルバーボウルや昭和48年のダイエー新潟店。


シルバーボウル、よく行ったなあ。今日はシルバーボウル次週はミナミボウルと行き来したものです。いまはどちらもなくなってしまいましたが。


ダイエー新潟店もお世話になりました。


5階あたりに電子パーツのお店がありました。
ラジオなどのキット製品やトランジスタやダイオードなどのパーツが豊富に取り揃えられていました。小学校時代に『子供の科学』を愛読していた私にとって、とてもうれしい空間でした。


ちなみに、古町の新潟三越にあったハイテックナムコもいきつけでした。


そういう小学生でした。



話を戻して。


万代シテイには、レインボータワーという100メートルのタワーが建っています。昭和48年に建てられました。


もともとはゆっくり回転しながら上下する展望塔でした。
当時の新潟市には背の高い建物はさほどなく、幼心に好きなタワーでした。あとは日本海タワーでしょうかね。
巨大地震に耐えられない可能性があるということで、平成24年に営業が終了してしまいました。


営業終了後も、万代シテイのシンボルとしてそびえています。


新潟伊勢丹、レインボータワー、ビルボードプレイスを超えると、再びやすらぎ堤に戻ります。



朝のランニング、いいですね。万代の街なかや新潟駅前を走るなんて新鮮で楽しかったです。
いつの日かまた早起きを。


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ここで、昨日の夜のお話。


「お出かけする前に、早起きできたら走ろうかな」と妻に言ってみました。


妻「いいんじゃない。疲れてるのに大丈夫かなと思うけど、でも走ると発散できるんでしょ」


あれ。理解されてる!? 



喜びも束の間、娘が会話に参加してきました。
「ランニングなんて、走るだけだからお金もかからないしいい趣味だよね」


妻、何も言いません。
私、黙ってポーチやらコンプレッションやらソックスやらボトルやらシューズやらを並べます。


ランニングは金かからない手軽な趣味。そう思ったことが私にもありました(ことはじめ パート2 - 新潟の街でランニング (あと、アルビのことも)



娘「お金かからない趣味なんて、お父さん家族思いだよね」



妻、依然何も言いません。



あのー、そろそろ寝ませんか、娘殿。