(新潟シティマラソン20018観戦記 その1)はじめての沿道にわくわくする
10月の3連休最終日。8日月曜日。
新潟シティマラソン当日。
天気は晴れ。
思い起こせば、2年前の新潟シティマラソン(10k)が私にとっての本格的なマラソン大会デビューでした。
(本当の大会デビューは、同じ年に娘と参加したサンセットビーチラン)
そして去年の新潟シティマラソンでフルデビューとなりました。
こんな感じに、節目節目のマラソン大会はいつも新潟シティマラソンでした。
それが今回は、色んな事情が重なって、応援の側に回ることになりました。
初応援も新潟シティマラソンでしたと思えば、これもまた節目と言えなくもありません。
そうと決まれば一生懸命応援するまで!
友人や職場の仲間もたくさんエントリーしているし、アルビユニフォームの方や他Jリーグサポの方々もわざわざ新潟まで来てくれているはず。
そういう方々にいっぱい声援を送ろうと心に決めました。
新潟シティマラソンのコースには、色んな表情があります。
選手もまだ余裕で、沿道も賑やかで、華やかな雰囲気が楽しいビッグスワンから鳥屋野潟界隈、さらには萬代橋や古町。
応援する側からすれば見晴らしが良さげなんだけど、選手からしたらトンネルを抜けてしかも緩やかなのぼり坂と太陽の照り返しに体力をもぎ取られていく海岸道路。
選手にとっておそらく一番辛いポイントになるであろう、ひたすら日光と風との戦いになる平成大橋からふるさと村の折返し、さらにはやすらぎ堤に戻るまでの長い長い堤防。
道幅が狭くなってごちゃごちゃするけれど、もう少しでゴールと実感できる白山あたり。
ゴールに歓喜する選手を目のあたりにできる市陸。
どこのエリアも魅力的ですが、私は堤防で応援することにしました。
このあたりはただただ殺風景な一本道ですし、応援する方も少ないんじゃないか。
でも選手にとっては一番つらいポイントです。
そういうところでエールを送ることには大きな意味があるんじゃないかと。
まったくひとりよがり、自己満足ではありますが、そう考えました。
トップの選手が到達するであろう1時間前には現場に到着しました。
意外と多くの方がすでにいらっしゃいました。
慣れてる方はレジャーシート広げたり、弾幕や応援うちわを用意したりなさっていました。
私は、とくに持参品なし。
上着はアルビユニではなくて、えちご・くびき野100kマラソンの記念Tシャツ。
このTシャツを持っているということが、今回私が応援に回ったことに大きく影響しているのですが、それはまた別の話ということで。
周りの方々はグループで雑談したり、スマホでいまの選手たちの位置を確認したり、お菓子を食べたりと、ちょっとしたピクニック状態。
そんな中ぼっちの私は、なんとなくストレッチしてみたり芝生に座ったと思ったらまた立ち上がってみたり、あるいはちょっと位置を変えてみようと堤防を横切ったりと、挙動不審極まりない行動をとりながら、ただただ時間が経つのを待ちます。
・・・ふと思い出したのが高校時代、授業と授業の合間の10分休憩。
周りがグループで楽しそうに雑談しているその喧騒の中で、話し相手もおらず無意味にトイレに行ってみたり、教科書を出し入れしてみたりした、そんな切ない思い出が蘇ります。
人生ずっとぼっちだったなあ(遠い目)
それでもまあ、時間は必ず流れていくものです。
きづけば1時間が過ぎていました。
まわりがさっと緊張してざわめきはじめます。
わたしもその空気を察して立ち上がりました。
遠くから先頭のランナーさんが走ってくるのが、まめつぶのように小さくみえてきました。
(続く)